311によって、様ざまなものの形が変わることを余儀なくされました。失われたコミュニティ―をもとの形に戻すことよりも、新しい持続可能な形を求めることが求められていたように思います。どの自治体にも共通する時代の要求として、環境未来都市の東松島市も、少子高齢化を根源とする様々な問題を抱えていました。コレクティブハウジングは、個の空間を守りながらも、適度な距離感で共有することが合理的な空間を共有することによって、共助を促し、新しい家族の形を生み出す居住形態です。
外的要因で突然変わってしまった家族の形は取り戻すことができませんが、そのことを契機に持続可能な新しいスタイルを得ることができます。コレクティブハウジングの提案は、震災復興のコミュニティ形成と、環境倫理・サステナブルに代表される、持続可能な住宅建築の取り組みを学びながら元に戻すのではない前向きの姿勢で、各地から講師を招いて勉強会を重ねながら進められました。
震災復興を外から支えるボランティアの熱量と、それに支えられることが当たり前の日常になっていた現場の当事者の間には、熱量に大きなギャップがあり、役所の旧態依然としたオーソライズシステムは大きな障害でした。
震災復興のモデルとして、iOTの導入や、ハイテク機器を導入した見守りシステムを提案しましたが、提案の本質は「共助」と「新しいコロニー」の提案でした。行政の提案する変革は常に消極的になりがちですが、真のクライアントとしての市民が居ないところで議論をしても新しい試みは生まれません。当時の東松島には、考え提案する姿勢に新しいものを求める余裕が乏しかったと思います。
コレクティブハウジングが示すことができたSDGsは、痛みを得たコミュニティに「共助」を核とした、持続可能性を示すことと、それまで意識されていなかった、持続可能な地域住宅供給システムのエコシステムのありかたでした。